三宅:2019年7月8日(月)24時を回りました。
さぁ、誕生日になって、約1週間経ちましたけども、すーごい可愛らしい誕生日メールを頂いたので、
■ラジオ・ネーム: おうが
けんくん、こんばんは。
まいしゅう、おかあさんにラジオをろくおんしてもらったのをきいています。
けんくん、7がつ2かおたんじょうびおめでとうございます!
けんくんに、おめでとうがいいたくて、おかあさんにおしえてもらいながら、はじめて、メールをしています。ぼくは、うまれたときからV6をきいてきました!
おおきくなったら、けんくんみたいになりたいです!
これからも、けんくんをおうえんしています!だいすき!
三宅:全部ひらがなで書いてあります(笑)かわいいね。生まれた時からだって。じゃあ、お母さんに洗脳されてるんだ(笑)。いいね、なんか、小学1年生にまでお祝いされちゃって。ありがたい。ありがとねー!!おうが!!
■ラジオ・ネーム: おかちゃん 36さい。
先日、うたコンのメールを読んでいただい者です。
初めてメールを読んでもらえすごく嬉しく、子供にも伝えようと思い、でも、驚かせたいと思ったのでradikoで健くんがメールを読んでくれているところを聞かせてみました。
すると、声を聞いただけで「あ、V6兄さん?!」「あれ?これ、わたしのこと?!」と言いながらニヤニヤニヤニヤ。ものすごく喜び最後には「けんくん♡♡♡」と言っていました。
しかし「お母さんがちゃんと私の名前を言わなかったから、健くんが私の名前分からなかったじゃない!」と怒られる始末。恐るべし3歳女子です。「わたしのなまえは『ここみ』3さいです」と伝言を頼まれました。夢はいつかV6兄さんと踊ることになったそうで、パプリカに加えて新曲の特典DVDをエンドレスリピートし始めました。一緒にコンサートに行ける日もそう遠くなさそうで、小さなV6ファンを育てるのに成功中です。
三宅:聞いてるー?!ここみちゃん!!!もうここみちゃんのこと分かったよー!!順調にv6ファンに育ってますね(笑)こうやってどんどんお母さん達に育てていって頂きたいですね。未来のV6ファンを。
■ラジオ・ネーム: 森田ゆか
健くん、40歳のお誕生日おめでとうございます☆ 見た目がこんなに若い健くんが40歳とかなんか不思議な感じがします。 ご自分でも違和感ないですか?(笑) 健くんもいずれはおじいちゃんになるんですよね? おじいちゃんになった健くんを今は全く想像できません! おじいちゃんになった健くんも見てみたいので長生きしてくださいね!! 健くんにとって幸せな1年になりますように☆
三宅:おじいちゃんになるでしょうね、いずれねー(笑)60歳想像できる??あと20年後。20年経ったらさすがに老けるだろー。確実に杖とかもお洒落なやつにするでしょ。
とくむー:歳相応のファッションとか考えますか?
三宅:10代って、ブラウン系とか抵抗があったんですよ。おじさんの着る色ってイメージがあって。今は、ブラウンいいなって思いますからね。どうなんですかねー。おひょいさん(藤村俊二さん)みたいな感じですかね、やっぱり、英国紳士みたいな感じでいたいですよ。こだわってはいたいですよね。その年齢なりの楽しみ方を持っていたいなとは思いますね。もちろん和服も着こなせるようなおじいちゃんになってたいですよ。日常着として着こなせてるって言うか。
はい、というわけで
「三宅健のラジオ」
■ラジオ・ネーム: 原ちゃん
40回目のお誕生日おめでとうございます! ラヂオがある日にお誕生日をお祝いできることをとても嬉しく思います。 40代になる節目の年ですが、40代になってやってみたいことはありますか? また、30代で一番の思い出は何でしょうか? 教えていただけると幸いです。 40代になっても50代になっても、これから先ずっとずーーっと応援します♡
三宅:40代になってやりたいことって何ですか?って内容のメールを先週も沢山頂いたんですけど。昔から応援してくれるファンの方々の望みを叶えるのであれば、ジュニアの頃に掲げていた夢の1つにあるのが、ソロコンサート。ファンの方の為に、ある日願いが叶ったんだって感じで、叶えられたらいいなーっていうのは、おぼろげながら考えていたりはしますけど、ただ、先に言っておきますけど、なんにも決まってないですよ(笑)。ただ、僕の希望で言ってるだけなんで(笑)。ウチのメンバーで言うと、ソロコンサートやってんのって、森田君と、坂本くんがワンマンスタンディングっていうのが今年で2回目になるんで。
なんか自分の中の妄想としては、まぁ、今活躍してる後輩君達とも、せっかく滝沢歌舞伎で出会ったりしたし、まだ見ぬ後輩君でもいいんだけど、競演してみたいなという気持ちもあったりするし、それこそ60歳までバリバリ踊ってられるかどうかって、分からないじゃないですか。
って考えると40歳になる節目となる年に、40代のうちにやってみたいなーと思ったりはしますね。たとえば、ダンサーのYOSHIEさんと一緒に、恐れ多いですけど、いつか同じステージで踊ってみたいってことは、YOSHIEさんとも話したりはするんですけど、ソロコンサートを開催するとその夢が叶ったりするのかなーとか。そのバックに後輩君達も出てくれてりしてコラボレーションするんだったら、YOSHIEさんの振り付けに触れるきっかけにもなるだろうし。
まぁ、もちろん、ファンファーストでありたいから、ファンの方々が一番望むものを提供出来るものにしたいとは思いますけど。成人式が2回目って感覚なんですよ、僕の中では。
なので、20歳の時にちょうど、「二万七千光年の旅」っていう、野田秀樹さんの処女作である戯曲があって、それをやらせて頂いて、僕にとっての初舞台だったんですけど。それが野田秀樹さんとの出会いでもあって、それまで、あんなにも才能に溢れた人がいるってことを知らなかったんで僕は。舞台っていうのは観る側で、まさか自分がやるなんて考えもしなかったんで。PARCO劇場でやったんですけど。
その戯曲を書いた当時の野田さんは、脚本、演出、出演と、ノリにのってる時代で、しかも20歳だったので、僕も同じ20歳でその役をやらせて頂いて、すごく運命的なものを感じていたし、野田秀樹さんという素晴らしい才能に触れさせて頂いて、こんな世界があるんだって知って、その時は凄くカルチャーショックだったんですけど。
まぁ、なので、いつか野田秀樹さんの作品に、また出演したいなというのも僕の夢の1つです。
いつになるか分からないですけど、そういうのがいつか出来たらいいなーとは思ったりはしてますけど。なんかこう、そんな自分の希望とか野望もあるんで、海老蔵さんとの歌舞伎も、どうしても野田さんに観てもらいたくて、電話したんですけど。歌舞伎を人生の中で、しかも、僕以外の演者がすべて歌舞伎の方々というのは普通に考えて、無いことだし、伊東四朗さんにも、「僕も経験したことも無いことを健はやってるんだよ」って言われて。
志の輔さんにも、「ほんとに凄いことをやろうとしているし、やってるんだってことを終わった時に気付くだろうから、今は逆に、凄いことをやってるってことに気付いちゃうと萎縮しちゃうから気付かない方がいい」って言ってもらったりとかして、なんかその、初日が始まって、しばらくの間は自分の中でも、探り探りの感じもあったし、野田さんに連絡して、観て欲しいんですけどって言う自信みたいなものがそのときは無かったのか、まぁ、もともと自分から観に来てくださいって言うタイプでみないっていうのもあって(笑)。
それが、観に来て欲しいなーって、後半に思って(笑)。東京公演はもう終わりかけてたから、大阪公演もありますよって(笑)言ったら、まさか本当に大阪公演を観に来てくれるとは思わなかったから嬉しかったですけど。
野田さんが観劇してどう思ったのかは分からないですけど、わざわざ始発で観に来てくれて、その事に関して、すごく感謝してますけどね。結構な労力じゃないですか。日帰りだったら観に行けるかもしれないって、見終わったらほんとにそのまま帰られて。だから、客席で野田さんを見つけたときは、なんか不思議な感じでしたけどね。唯一無二の存在だし、世界に日本が誇れる才能の1つだと僕は野田さんのことを思ってますけど。脳みそを開けて中身をみたいっていうね(笑)。
そんな事を思ってたりはしますけども、あーー、しゃべっちゃったなぁー、今まで言ってなかったんだけど(笑)。そういうのも年齢を感じるっていうか。昔からね、なんかね、なんでもかんでも人に話したがらないタイプなんですよ。何かを見た時に感じたことを言葉にしてしまうとその側から消えてなくなる感覚っていうのがあって。自分がたまたま見つけたものを伝えるってことが、自分だけのものを独り占めしたいって感覚だったり、する時期があったり。
「何か最近観た舞台や映画で面白かったものはありますか?」って聞かれたりすると言いたくないの(笑)。だから、すごく難しくて、んーーーー、無いですね。ってなる(笑)。
それがこうして自分の夢とか野望とかを、まず電波にのせて言うってことは、10代、20代の時は考えられないわけ。やっぱ夢を語ったとしても、ある種の建前的な、ちゃんと世間体を考えた、アイドルの自分から逸脱しない自分、だったり。自分のパーソナルな部分を知られたくないっていうこだわりがあったんだと思うんですよ。なんで今日言おうと思ったのかは分からない(笑)。明日後悔するかもしれないけど(笑)。
日々、毎日のように初めましての人に出会う仕事だと思ってて、礼儀だとか仕事に対する考え方だったりって、会社の人に教えてらうわけじゃなくて、親でも無くて、やっぱり、仕事をして出会う人達に教えてもらう事だったり、その人達から学ぶことだったりするなと。
それが、10代、20代、30代って仕事をしてきて、自分の中で、仕事に対する姿勢、ファンの方々に対する向き合い方とか、こうあるべきだって考えてる確かなものがあるんだけど、僕は10代からファンの方々に対する想いはなんにも変わってないんですよ。何一つ。
だけど、10代の頃って、それがすごく不確かなものなんですよ。だって、ファンの方々も気分が変わればいつかいなくなっちゃうわけだから。それを15歳の時にさ、分かりながらやっててさ。でも、その不確かなものを向き合わなきゃいけないわけだから。っていうのが、10代には不確かだったものが、いろんな人との出会いの中で、間違ってなかったんだって、確信に変わっていくわけですよ。点だったものが、1本の線になってくっていうのを感じてきましたね、出会った人達によって自分が形成されて鍛えられて、学びを与えられて、っていう感じですかね。あー、俺また真面目なこと言っちゃったなー(笑)ぜんぜん真面目じゃないんですけどね。
〜♪ MUSIC〜
SMAP「オリジナルスマイル」
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おやすミラクルシュート
2019年07月09日
2019年7月8日のラヂオ
posted by 三宅健のラヂオ at 01:00| 日記
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